これまでの話は過去記事を参考にしていただけたらと思います。
とりあえず復職したものの、環境が変わりきる前に復職してしまった私がどうなっているかというお話です。
いま、休職中で苦しんでいる方にも同じような目に合ってほしくないので是非参考にして、休む勇気を与えられたらと思っています。
復職してみて体調はどうか
ズバリ気になるところはこれかと思います。私も復職前にはみなさんどうなのかと思って気になって調べました。
私の場合ですが、正直にいうと『不調』です。
環境が変わっていないのでそれは当然のことかもしれませんが、
1週目:既に喉への違和感が始まる、苦しい
2週目:祝日とお休み(元からあった用事のため)で会社から離れリフレッシュ
3週目:パワハラに関する社内研修を受けたら思いだし体調悪化
4週目:朝動けない時間が増え、別のことをしていても急に悲しくなってくる
もはや復職して1ヶ月でこの状態になってしまい、1ヶ月休んだのは何だったのかと思っています。
毎日仕事やめたいと思いながら会社に行き、ほとんど仕事という仕事ができないまま帰ってくるというのを繰り返しています。
やはり今までやっていた仕事をもう一度頑張りたいと思えるようになるまで休まなかったのは失敗でした。もうこれ以上よくなる兆しが見えず、より絶望感が強まりました。
復職後の産業医とのフォロー面談
復職して1ヶ月経ったタイミングで、産業医との復職後フォロー面談がありました。
1ヶ月経とうとしている時点で頭痛・眩暈・思考力の低下・急に涙が出てくるなどの症状が急速に悪化しているという旨を伝えたところ、再度ドクターストップがかかりました。
状況が変わっていないところに戻ったら、それは良くはならないでしょう…という診断でした。
ひとまず、様子を見ることになりましたが『本当は限界なんじゃないの?』と言われて涙腺崩壊しました。
体調を崩してまで働く意味はあるのか
なんだか意地になって会社に行っている気持ちになってきて、他の適応障害に苦しむ人のブログだったりSNSをみていたら一度自分の中で向き合って考えてみる必要がある気がしました。
私が意地になって会社に行く理由
それは、『働き過ぎではないのに働けない状況になった自分が理解できない』からでした。
私は正直『鬱』などの精神疾患になるのは、とてつもないブラック企業で働いていて、残業時間が100時間超えていて、そんな人が体が悲鳴を上げてなってしまうものだと思っていました。
対して残業もせずに、業務量も多くない状況で適応障害になるということが私の中では受け入れられませんでした。
- 人間関係のストレスだけでこんなに会社に気持ち的に行きたくない、身体的にいけない状況になるなんて理解がでない。
- これはゆとり世代のただの甘えなのではないかという気持ちがとても大きくもあった。
さらに自分でも受け入れられないのに、絶対この不調は周りの人に受け入れられないと思いました。人からどう見られるかが怖いのもあったと思います。だから休めませんでした。
正直自分でも納得がいきませんが、現に単純な人間関係で適応障害になったというのは紛れもない事実です。素直に受け入れて休んだ方が自分の身体と心のためになります。
自分でもこの事態が理解できずに、早めに復職し仕事に行っていました。
そして、復職後は症状がさらにひどくなりました。前と同じ状況に戻されるということをされたのは、職場にも正しくこの病気が理解されていなかったためだと思います。
自分を守れるのは自分だけというのをよく見ますが、本当にその通りだと感じています。
そして、どしんとした夫の一言
と、確かに。
休んだら会社に迷惑じゃないかと思っていましたが、効率悪くちょっとしか進まずに、給料としてお金払っているほうがよっぽど会社は迷惑だし、給料泥棒も甚だしいなと。
そうおもったら万全の体調で働く方がよっぽど会社にとっても自分にとっても有意義だと感じ、少し休むことへの罪悪感が弱まりました。
まとめ
体調をくずしてまで働く意味があるのかという答えは『意味はない』だと思います。
しかし、頭では分かっていても休むという一歩が踏み出せずにもやもやしながら、辛い思いをしながら仕事をしてしまう人もいるかもしれません。
しかし、そういう人こそ、『自分を守れるのは自分。』ということを思いだし一度冷静になって考えてみる必要があると思いました。
自分へのメッセージも込めて。
あぁこの先私は、どうしたらいいんだろうーと悩んで『適応障害』で検索したときに見つけたブログを紹介します。
今の仕事だけがすべてじゃないということを気づかさせてくれて、とりあえず1回休むことに前向きになれる内容で、勇気をもらえました。
同じくらいの年齢で、休んでいてもこれだけ前向きに取り組めば他に生きる道はあるんだなと教えてもらえました。休むこと、会社をやめることは決して逃げではないということを感じられます。